2008年10月28日火曜日

手術後1ヶ月経過

9月29日に手術を行ったので、やっとひと月経ちました。
1ヶ月目の検診結果も聞いてきましたが、CTスキャン・MRI・血液検査ともにPassすることが出来ました。
相変わらず、手術傷口付近に痛みがあるのですが、血液検査によるCRP(C反応性タンパク)の値も、0.06mg/dlと正常値なので腎臓近辺の炎症も無く問題ないようです。
GOTやGPT、γーGTPも禁酒生活のおかげで正常値まで改善しました。
あとは腹周りを85cm以下にするとメタボ脱出です。

今日は執刀担当の先生に診てもらったのですが、お願いしようと思っていた戸田中央病院の先生宛の状況報告の手紙も用意してくれていて、また、CTやレントゲン等の資料も既に戸田中央病院へ送付してくれたそうです。感謝感謝です。
蕨に帰って早いうちに、戸田中央病院の先生に書いてもらった手紙を持って、手術の報告に行ってこようと思います。
腫瘍を見つけてくれてありがとうございましたと、お礼もしないとだめですね。

次回の北大での診察は、手術後3ヶ月目の検査で12月下旬になるのですが、蕨勤務と言うことを考慮してくれて、12月26日(金)に予約を入れてくれていました。ありがたいです・・・

社会復帰は来週からの予定なので、今週はウォーキング等で体力つくりを頑張ります。

2008年10月26日日曜日

手術後27日目(退院後17日目)

昨日(24日)、手術後1ヶ月検診のため北大病院にCTスキャンとMRIを取りにいってきました。
相変わらず患者さんがいっぱいで、11時位に着いたのですが病院を出たのは16時を過ぎていました。

傷口からまだ血が混じった体液(?)が少しでる状況を先生に聞いてみたのですが、化膿もしていないので問題ないみたいです。
あと、左のわき腹表面がとても敏感になっていて、下着がこすれても痛みを感じたり、左足の付け根を中心にシビレている感じが続いているのも、完全に治るのは1年程度かかると説明がありました。

つねったりしても痛みをあまり感じないとか、ちょっと気になっていたのですが、先生から説明があってちょっと安心しました。

今日のCTスキャンとMRIの結果は、28日の診察でわかるとの事でした。
変なものが写っていないと良いのですが・・・・ちょっとドキドキします・・・

敏感になっている傷口付近を保護するのと、内臓がボヨンボヨンと揺れるのを防ぐ目的の腹巻が手放せなくなってます。
家の中では、スウェットパンツとTシャツに腹巻姿なので嫁と娘には、『バカボンのパパ』みたいといわれています。

2008年10月21日火曜日

手術後23日目(退院後12日目)

土曜日に久々に湯船にゆったりと浸かったのが悪かったのか、ちょっと傷口が腫れて熱まで出てしまいました・・・・
おかげで、土曜からずっと安静状態でした。

それでも今日は、熱も腫れも引いたので近くのジャスコまで車を運転して行ってみました。
腹筋がかなり弱っているらしく、自分で運転していても発進・停止・カーブで内臓が遠心力で暴れまくります・・・

歩いているときも、ぶるんぶるんと手術した側がゆれるのでとても歩きにくい状態です。
傷口の痛みが取れ次第、腹筋強化しないとダメですね。

2008年10月17日金曜日

手術後19日目(退院後8日目)

ここ2~3日、痛みがあるので寝ていることが多いです。
退院のときにもらった痛み止めをついに使ってしまいました。
・ボルタレンSRカプセル37.5mg
・ムコスタ錠 100mg

嫁さんに傷口の保護テープ(3M Steri-Strip)を張り替えてもらうのですが、ドレーンチューブが入っていた傷口がまだ塞がりきっていないみたいです。
傷口が背中にあるのと、自分では恐くて見れませんが嫁さん曰く、『パクパク』だそうです。 orz
おかげで、お気に入りのTシャツがダメになってしまいました・・・

早く傷口が塞がるといいのですが・・・・

2008年10月14日火曜日

手術後16日目(退院5日目)

やっぱり退院が早すぎたのでしょうか?
腎臓が痛むし、傷口からも血がにじんでるし・・・
今日は一日中安静にしていました。
喉が渇いて目が覚めると、腎臓が痛いんですよ。脱水症状になると腎臓に負担がかかるみたいです。
看護師さんが『十分、水分を摂ってください。』と言っていた意味が良く分かりました。
枕元にペットボトルを置くようにしました。

傷口がパンツのゴムに擦れるのがとても痛いので、普段はトランクスなのですが、嫁さんにセミビキニブリーフと腹巻を買ってきてもらいました。
腹巻は傷口を押さえるガーゼが固定されるので、とても快適です。

2008年10月11日土曜日

手術後13日目(退院2日目)

さすがに外出は控えているのですが、家の中で動き回ったのがいけなかったのかオシッコに少し血が混じった感じです。ちょっと熱っぽいし。
やっぱり、しばらくは安静にしてないとだめですね・・・

手術の傷口4箇所は、縫ってあるわけではなく、3MのSteri-stripなる保護テープが貼ってあるだけの状態です。
この保護テープは、その辺の薬局には置いてないので北大病院の売店で買ってきたのですが、なかなかの優れものです。傷跡をキレイにしてくれるそうです。
ただ、傷口がパンツのゴム部分にちょうどあたるので、痛痒くて辛いです。

今日も頑張って、水分1500cc摂りました。ビールなら楽勝なんですが、水やお茶だと辛いですね。

2008年10月10日金曜日

入院15日目(手術後11日目)

本日、退院です。
埼玉の病院を退院するときは、腫瘍の手術を控えての退院だったので、ちょっと欝な感じでの退院でしたが、今回は悪いものを取りきっての退院なので、前回よりは明るく退院できます。

看護師さんたちも、何かあったらナースセンターに電話してもいいですからね。と直通の電話番号を教えてくれました。
退院後は、
・1日1500cc以上の水分を取ること。
 →喉が渇いたなぁ。となる前に水分を取る。
・塩分を控えた食生活をすること。
 →醤油はおかずにかけないで、おかずを醤油につけて食べる。
・体をねじったり、腹筋を使う動作は1ヶ月間行なわないこと。
 →ぶちっといきますよ。脅されました。
・血尿がでたら、すぐに病院に連絡すること。
に注意するようにと指導もされました。

10時半までにチェックアウトしなくちゃいけなかったので、仲良くなった患者さん達と看護師さんに挨拶をして病棟を後にしました。ほんとに皆さんありがとうございました。

その後、支払い窓口で精算を行なってきましたが、ちょっと予想していた以上の金額でした。
約400,000円。
手術と麻酔がその半分です。支払いは、カードも使えるのでカードで払いでマイルをためることにしました。

12時位に嫁さんが病院まで迎えに来てくれました。どうしてもラーメンが食べたかったので元町ジャスコによって、昼飯を食べたのですがラーメン1杯食べ切れませんでした。入院前は大盛りラーメンも完食できたのに、自分でもショックでした。

嫁さんの運転で家まで(約15km)、助手席で帰ったのですが内臓がクルマの遠心力で暴れる感じが、とても気持ち悪かったです。腹筋が弱っているので、そんな感触があると看護師さんも言ってました。

15時半ころ家に着きました。15日ぶりの帰宅です。病院から自宅までの移動だけでかなり疲れが出てしまって、熱もちょっと出てしまいました。
しばらくは安静にしてないとだめみたいですね・・・・

2008年10月8日水曜日

入院14日目(手術後10日目)

切除した部分の病理検査結果と退院後の生活について執刀担当の先生から説明がありました。
病理検査の結果は、
・腎細胞ガン(淡明細胞ガン)
・グレード2(グレード1~3があり、1が良性、3が悪性なので中ぐらいの悪性)
・断端陰性(ガンは取りきれた)
との事でした。

戸田中央病院での検査のときから、腎細胞ガンの可能性が高いといわれ続けてきたので大きなショックはありませんでしたが、『やっぱりなぁ・・』って感じで先生の説明を聞いていました。
ガンの部分は取りきれたので、今後の追加治療(抗がん剤等)はなしです。
これは良かったです。病棟には抗がん剤治療で大変な思いをしている人たちが沢山いて、辛さを診てきたので、治療中の方たちには申し訳ないのですが、安心しました。

それでも、再発の可能性があるため、3ヶ月毎の検査を今後5年間行う事になります。
検査項目は、
・採血
・検尿
・胸部2方向のレントゲン
・胸部CT
・シンチグラフィー
です。(2万円コースですね・・・)
6年目から10年目までは、1年に1度の検査になって、10年目以降は任意だそうです。

また、退院後の生活ですが、今回、結構腎臓の深い部分まで切除したので、血尿・感染・出血の可能性が高い状態になっているそうです。単身赴任で埼玉に戻ることも考慮して、10月一杯は自宅での療養を勧められました。
手術一ヶ月目の検査が28日(火)に設定されていることもあるので、埼玉での仕事初めは11月4日になりそうです。

埼玉に戻ってから、血尿等が出た場合の対策として、一度、戸田中央病院での診察も受けて欲しいとも先生に言われました。
どのような手術・治療を行なったかの手紙も書いて持たせてくれるそうです。
困ったことがあれば、泌尿器科病棟のナースセンターに電話してくださいとのことでした。
いろいろと配慮してもらえてありがたいです・・・・・

戸田中央病院に肺炎で入院したときも感じていたのですが、北大病院でも先生や看護師が患者に接する態度は、僕が持っていたイメージを変えるものがありました。
日野原先生のLiving Long,Living Good(生きかた上手)に書かれていた、『病気を治す』のではなく『患者を治す』を『患者の気持ちを大切にする』ことをとても大事にしているんですね。
不治の病とか言われる『ガン患者』になっても、落ち込んだり、ふさぎ込んだりしなかったのも、このおかげなのかも知れません。

明日は、10時30分までに退院しないといけないのですが、嫁さんが迎えに来てくれるのは14時過ぎなので、暇をもてあましそうです・・・・
支払い金額もちょっと怖いし・・・・

2008年10月7日火曜日

入院13日目(手術後9日目)

やっと退院の話が担当医からありました。
9日(木)に退院決定です。
但し、退院直後から社会復帰は難しそうで、2W程度の自宅療養期間が必要みたいです。
蕨での仕事は11月からでしょうか・・・・・

多分、明日、退院後の過ごし方や、次回の外来予約の説明があると思います。

やっぱり、腎臓の部分切除は、切除した部分が落ち着くまでの時間がかかるみたいです。
丸ごと腎臓を全摘した人たちの社会復帰はかなり早いみたいですね。

今朝のオシッコにもちょっとビックリしました。色はジンジャーエールなのですが、茶柱が立ってるんですよ。それも真っ赤な茶柱。
うろたえてオシッコ計量カップをもって、ナースステーションにいって『茶柱が・・・』というと、『いい傾向ですよ。出血していたところが治ってきているんですよ。』とあっさり言われました。
問題ないと言われても、あの茶柱が途中のどこかに刺さってしまわないかと心配です・・・・

2008年10月6日月曜日

入院12日目(手術後8日目)

退院は何時になるのでしょうか?まだ何も説明がありません・・・・
突然、『今日、退院です。』と言われても困りますしね。
火曜日あたりに退院かな?と匂わされていたので、今朝の採血で何かあったのかな?などと心配してしまいます。
昨日、病室に入ってきた患者さんは腎臓癌になって片方の腎臓を摘出したけど膀胱と肺に転移して今回は、抗がん剤治療のため入院(2W)と言っていました。
抗がん剤が効いて、肺の癌は消滅したとも言っていましたが、そんな話を聞いていると、いろいろ心配してしまいます。
でも、この患者さんも明るい人で、抗がん剤の副作用でツルツルになった頭にいつもタオル鉢巻を巻いた威勢の良い人です。周りには見習わないといけない人が沢山います・・


お昼ごはんに合わせて、嫁が大盛りタルタルのり弁当を持ってやってきました。
病院食の献立は、
・元はホッケの開きだったと思われる4cm×4cmの焼き魚
・モロヘイヤのおひたし
・シメジの味噌汁
・キウィフルーツ一個
・牛乳180cc
・ご飯
です。
入院当初は、量が足りなくて困っていたのですが最近は胃が小さくなったのか足りちゃいます。
おかげで、5月中旬のレコーディングダイエット開始時点の84.5kgから10kg近く体重が減って、今朝の計量では、75.45kgになってました。
数日前まで、嫁に『75kg台を目指せ!』と言われていたのですが、早速、『67kg台』に目標を変更させられました。

2008年10月5日日曜日

入院11日目(手術後7日目)

ジンジャーエールのようなきれいなオシッコが出るようになりました。よかったよかった。
でも痛みは相変わらずなので、トイレに行くときはゆっくり摺足で移動です。

ドレーンも外れてシャワーの許可が出たので、ビクビクしながら傷口もボディシャンプーで洗いました。
腹腔鏡を挿し込んだ傷口近辺を触ると、プチプチと空気が皮膚の中にある変な感触があります。
手術のときに腹腔鏡カメラの視界を確保するために、二酸化炭素を注入した残りだそうです。

鏡で傷口4箇所をはじめて確認しました。『若いときに喧嘩で、4箇所ドスで刺された。』と傷口を見せながら、ほらを吹いても通用しそうです。
ドレーンが入っていた傷口以外は、かなりふさがってきているようでした。

午後の回診で、『たくさんオシッコがでるようになってきたので、明日の採血結果に問題なければ火曜日頃に退院予定です』と言われました・・・・・・・
まだ痛みがあったり、カラフルなオシッコが出ているのに・・・・

金曜日まで同室だったおじいさんは、10月1日に手術して、3日に退院させられていたので、あのおじいさんよりはいいのかも知れませんが・・・

入院の順番待ちの人達のためには仕方ないんでしょうね。

一つ報告忘れがありました。
医療技術の進歩はすばらしいもので、オケケを剃らなくても腹腔鏡下手術が可能になっているみたいです。

2008年10月4日土曜日

入院10日目(手術後6日目)

今日は食事とトイレ以外はベッドの上の生活でした・・・

体内の出血を体外に出すドレーンが外されました。
まだ、結構血が袋に溜まっているのにドレーンを抜いてもいいのかな?と不安ですが、お医者さんの判断なので、大丈夫でしょう。大丈夫だといいな・・・
これで体に繋がっているチューブは無くなりました。点滴用スタンドを持っての移動から開放されました♪

オシッコも多少改善して、トマトジュースサワーからピンクグレープフルーツサワーになってきました。
先生に聞くと、『お汁粉状態のオシッコじゃなければ、大丈夫!』との返答がありましたが、そんなの出た日にゃ、ショックが大きすぎて、トイレで気絶してしまうかもしれません・・・

ただ、腎臓の痛みは続いているので今晩も、座薬のお世話になりそうです。

入院9日目(手術後5日目)

今日は、結構痛みがきつかったです。
指を切っても痛いんですから、お腹を切ったんだから痛いの当然なんですが、痛いです・・・
座薬のパワーを痛みが上回っています。

おまけに、オシッコにも血が混じっているのを見つけて、『ガーン!』とショックを受けてしまいました。
パックマンの口が開いてしまったのでしょうか?

とにかく今日は安静にしてます。

2008年10月2日木曜日

入院8日目(手術後4日目)

朝から痛みとの戦いが続いています。
腎臓の部分切除は、腎臓をパックマンみたいな形で部分切除して、パックマンの口の部分に綿(?)をつめて、口を軽く縫い合わせてあるらしいです。
痛みを感じるのでは、腹腔鏡を入れた傷口ではなく腎臓が痛がっているそうです。
熱も38℃を超えてます・・・

大体1ヶ月くらいは、腹に無理な力を加えると、パックマンの口が開いて再入院する可能性があるので気を付けなさいといわれましたが、妙に具体的にパカっと開くイメージができて怖いっす・・・・

昼過ぎに、担当の医師と学生(?)の5~6名が突然、『オシッコのチューブを抜きにきました』と現れました。心の準備もできていないまま、『大きく息を吸って、吐いて』の『吐いて』のタイミングで一気に抜かれてしまいました。あの感覚は、一生忘れないでしょうね・・・・うぅ、気持ち悪い・・・

水分もご飯も十分取れるようになっているので、点滴も終わりました。結局、手術後、4000ccも点滴されてしまいました。
これで、からだに繋がっているチューブは、傷口からのドレーンだけになりました。
まだ、結構、出血があるので、このチューブはしばらく抜けないかもしれません。

今度の大部屋のメンバは、重い症状の患者さんが多くて、既に胃を全摘出した後に腎臓に転移した人がいるのですが、気持ちの強さには驚かされます。これな見習わないといけないなと思いました。

2008年10月1日水曜日

入院7日目(手術後3日目)

傷口の痛みで腹が減ったのも忘れていたのですが、やっと水分(水・お茶・スポーツドリンク)を取ってもいいと許可が出たので、ポカリスェット500ccを一気に飲んでしまいました。
昨夜も、痛みとの戦いで結局3時位に痛み止めの座薬を挿されてしまいました。

体温や血圧がある程度戻ってきたのと、水曜日も北大病院は手術日なので、今日手術の患者さんに集中治療室を明け渡す必要があるため、大部屋に移動させられました。

自分で歩いての移動でしたが、点滴のポールと、廊下の手すりにつかまって何とか移動完了です。
移動に続いて、背中の痛み止めチューブを抜くことになり、医師が抜いてくれたのですが妙な感触です。
今後の痛み止めは、座薬で調整するらしいのですが何回やっても座薬は嫌ですね・・・・

手術前に救急救命士の挿管実習を行なう同意書にサインをしていたのですが、僕のどこかが挿管を難しくさせる構造だったらしく、結局、医師が挿管したと、緊急救命士の方が報告に来ました。
『お役に立てませんでしたね。』という僕に、消防署の方らしく、90度の姿勢で『ありがとうございました。』といってくれた姿はジーンときました。

もう10月なんですねぇ。

入院6日目(手術翌日)

明け方5時前から吐き気をもよおして、何回も看護師さんを呼ぶのですが、手術前日から絶食しているので何も出てきません。吐く動作をすると、腹に力が入るので痛みも走ります。

手術したんだなと実感しました。



6時半ごろ、看護師さんが体重を測りに行きましょうと、僕を立たせて体重計まで無理やり歩かせたのですが、手術翌日に立たされたもんだから、立ちくらみがひどく、体重を量り終えたら車椅子で帰ってきました。

後で、聞くと、先生と看護師の連絡ミスで、立って体重計に行くのは明日からだったそうです。Orz



体からは、管が4本出ています。

・点滴用の管

・体からの値抜き用の管

・膀胱から伸びているオシッコ用の管

・背中から伸びている麻酔用の管

痛みとめの麻酔は打たれているのですが、涙が流れるほど痛いです・・・



昼ころ嫁が昨日の手術の様子を聞かせてくれました。

実際に手術にかかった時間は4時間程度で、あとは麻酔の準備は覚醒するまでの時間だったそうです。

予定通り、腹腔鏡下手術で、左腎臓の部分切除を行う事ができたとの事でした。但し、全摘出に比べて、腎臓を縫い合わせたりしているので回復には時間がかかるとの事でした。
嫁と子供達が摘出した腫瘍をデジカメや携帯で撮ってくれていたのですが、腫瘍ってオレンジなんですよ。ちょっと驚きでした。
これを病理検査に出して、どのような性格の腫瘍かを検査してもらうそうです。
結果がでるまで、2週間位かかるそうです。

午後の回診の際に、執刀担当の先生が診に来てくれました。脂肪が多く大変だったけど、上手く腫瘍と取り切りとったので、左の腎臓からの再発の可能性は低いでしょうと言っていました。

入院5日目(手術当日)

今日の手術は、2例目ということで14~15時位になりそうだと説明を受けていました。
嫁と長女は、11時くらいから病室に来てくれていましたが、次女は手術中に病院到着です。
結局、15時30分に手術室に連れて行かれて、ぎりぎり弟夫婦が駆けつけてくれました。

みんなベッドに横になって手術室に入っているのを予想していたらしく、歩いて手を振りながらの入室に拍子抜けのようでした。

手術室には、妙にハイテンションな看護婦さんとTOTOと思われるBGMがかかっていました。年代にあわせているのでしょうか?
背中に打つ麻酔注射は、事前の情報収集ではこの注射が一番痛いと書かれていたのですが、たいしたことはありませんでした。酸素吸入マスクから酸素が流れてきて、なんだか匂いが変わってきたなと思った瞬間から意識がありませんでした。(柔道で先輩に落とされて以来の感覚です。)

目が覚めたら集中治療室(?)に運び込まれていて心臓とかモニタリングされていました。
家族の姿を確認して、『終わったんだな・・・』と確認して、また落ちた感じです。
このときが、22:30なので、およそ6時間かかったんですね・・・

夜中の3時くらいまで、体の震えが止まらなかったらしいです。体温が40度を超えて、血圧も90位になって、結構やばかったと看護師さんが言っていました。